仕事場の机の上に、少し年季の入ったボールペンがある。
外側はところどころ剥げていて、新しいものと並べると少し古く見える。
それでも、今も仕事で使っている。
そのボールペンは、以前、仕事場に来ていた医師の方からもらったものだ。
もらった当時は素直に嬉しかった。
「せっかくだから使おう」と思って、仕事のときに持ち歩くようになった。
最初の頃は、使うたびに「もらったものだから大事にしよう」と思っていた気がする。
でも、何年も使っているうちに、少しずつ気持ちが変わっていった。
机の上に置いてあるのが当たり前になって、気づけば仕事をするときに自然と手に取っている。
芯がなくなれば新しいものに交換する。
本体が壊れているわけではないから、まだ使える。
見た目は少し剥げているけれど、それも長く使ってきた証のように感じている。
「大切なもの」から「いつものもの」へ
昔は、もらったことが嬉しくて使っていた。
今は、少し違う。
もちろん、もらったときのことを忘れたわけではない。
むしろ、このボールペンを見ると、当時のことを少し思い出す。
でも、それ以上に「いつものボールペン」という感覚が強くなった。
長く使っているものは、特別なものとして意識しなくなることがある。
毎日使う机や椅子と同じように、そこにあることが自然になる。
だから、もし突然なくなったら、きっと思っている以上に困ると思う。
新しいボールペンを買えばいいだけなのに、「これじゃないと落ち着かない」と感じるかもしれない。
そう考えると、いつの間にか自分の一部みたいになっていたのだと思う。
新品の頃より、少し傷がついて、少し剥げて、それでもまだ使える。
そんな姿を見ていると、物にも一緒に過ごしてきた時間が残るのだと感じる。
もらったときは嬉しかった。
今は、そこにあることが当たり前になった。
「大切にしている」とわざわざ考えなくても、自然と使い続けている。
そういうものが身近に一つあるだけで、何となく安心する。
これからも芯を交換しながら、まだしばらくこのボールペンを使っていきたい。
いつか本当に使えなくなる日が来ても、きっと長い間一緒に仕事をしてきたことは忘れないと思う。


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