昔の写真を整理していると、「こんなところに行ったんだ」と思うことがある。
写真の中には、自分が確かに写っている。
一緒にいる人の顔も分かるし、場所もなんとなく見覚えがある。
それなのに、その日のことを思い出そうとすると、なかなか記憶が出てこない。
写真には残っているのに、自分の中には残っていない。
スマホに入っている昔の写真を何枚か眺めながら、そんな不思議な感覚になることがある。
「このとき、何してたっけ」
そう思って、近くにいる人に聞いてみる。
すると、「この日はあそこに行ったよ」とか、「そのあと、みんなでご飯を食べた」と教えてくれる。
その言葉を聞いているうちに、少しずつ記憶が戻ってくることがある。
「ああ、そうだった」
忘れていたはずの場面が、誰かの言葉をきっかけに、奥からゆっくり出てくる。
覚えていない時間も、自分の時間
思い出せないことがあると、少し寂しい気持ちになることもある。
楽しかったはずなのに、細かいところを覚えていない。
写真を見ても、そこに至るまでの会話や、そのとき何を考えていたのかまでは分からない。
でも、全部覚えていなくてもいいのかもしれない。
写真が残っているということは、その時間を自分が確かに過ごしたということでもある。
そこにいた。
誰かと話した。
笑ったかもしれない。
何かを食べたかもしれない。
その日の細かな記憶がなくなっていても、その時間そのものまでなくなったわけではない。
昔の写真を見ていると、忘れてしまったことばかりに目が向いてしまう。
けれど、写真の中の自分を見ると、「この頃もちゃんと毎日を過ごしていたんだな」と思う。
覚えていることだけが、自分の人生ではない。
思い出せない時間も、写真の中に残っている。
誰かに話を聞いて、少しずつ思い出せる時間もある。
そして、最後まで思い出せない時間があったとしても、それはそれでいい。
全部を覚えていなくても、その時間は確かに自分の中を通り過ぎてきた。
そう思うと、忘れてしまった昔の時間も、少しだけ優しく眺められる気がする。

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