ふと気づいたら、最近の私は映画を字幕で見るようになっていた。昔は断然、吹き替え派だったのに。小学生のころ、家のテレビで放送されていた洋画を、わくわくしながら見ていた記憶がある。日本語の声でキャラクターがしゃべるのが当たり前で、内容を理解するより、登場人物の表情やアクションに夢中だった。
土曜の夜、カレーの香りが漂うリビング。お母さんがキッチンで皿を並べる音を聞きながら、私はソファに座って映画を待っていた。オープニングの音楽が流れると、胸が高鳴った。吹き替えの声優さんの声が心地よくて、登場人物のセリフ一つひとつが、まるで友達の会話のように感じられていた。
でも、大人になってから、いつの間にか字幕で見るようになった。たぶん、最初は「英語のまま聞いてみたい」という軽い好奇心だった。けれど気づけば、英語のリズムや言葉の響きがかっこよくて、字幕を追いながらも、耳は俳優の声に集中している自分がいた。
たとえば「Thank you」とか「I’m fine」みたいな何気ない一言でも、その発音や声のトーンから、吹き替えでは伝わらなかった感情が流れ込んでくる気がする。ほんの少しだけど、“言葉の向こう側”を感じられるようになったのかもしれない。
それでも、吹き替えで見ていた頃の温かい記憶は今も好きだ。日本語の声で笑い、日本語の声で泣いていたあの時間が、ちゃんと自分の中に残っている。吹き替えも字幕も、どちらもそのときの自分に合った見方だったんだろうな。
今夜もお気に入りのマグカップにお茶を入れて、小さな画面の向こうに広がる世界へ旅に出る。英語のセリフが風みたいに流れていくたび、あの頃の私も、今の私も、どちらも映画が大好きなんだなと静かに思う。



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