子どもの頃、年に数回だけ「今日はごちそうの日だよ」と言われる日があった。理由なんて毎回バラバラで、誰の誕生日でもないし、行事でもない。ただなんとなく大人たちの機嫌がよかったのか、それとも気まぐれだったのか──とにかく食卓に、普段見ないものがずらりと並ぶ日があった。
あの日の食卓は、本当にカオスだった。ピザの箱がどんと置かれて、横にはお稲荷さんのパック。さらにケーキの箱が開けられ、そのすぐ隣にエビチリ。「和・洋・中の折衷部隊」みたいなラインナップで、統一感ゼロ。けれど、子ども心にはそれがたまらなくワクワクした。
休日の午後、テレビの音が少し大きめに流れる中、テーブルの前に座って、目の前の山のような料理を眺める時間が好きだった。どれから食べるか迷って、結局いちばん好きだったピザに手を伸ばしてしまう。でも、お稲荷さんの甘じょっぱい味も恋しくて、途中でひとつつまんでしまったり。甘いケーキを食べた後にエビチリを食べて、口の中が大忙しになったりしていた。
大人になった今、あの日の食卓を思い返すと、なんだか胸の奥がそわそわする。同じような料理を見かけても、あの混沌としたワクワク感は再現できない。ただ、スーパーでピザとお稲荷さんが並んでいると、つい立ち止まってしまう。「あ、あの感じだ…」と思って。
大人になってわかったのは、あの日のごちそうは“特別な料理”だったわけじゃなくて、“特別な空気”だったんだろうなということ。理由もないのに嬉しくなる、そんな日が年に数回ある。それだけで、子ども時代は十分だった。
だから今でも、ごちそうが並ぶと、ちょっと落ち着かない。あの時のような、どこかむずがゆくて小さく弾む気持ちが、ふっとよみがえるから。



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