先日、友人たちと集まる機会があり、そこで「カタカナーシ」というゲームを初めてじっくり遊んだ。カタカナ語を使わずにお題を説明する、あの不思議と頭を使うのに、どこか緩くて笑ってしまうゲームだ。やってみると想像以上に奥深くて、気づけばすっかりハマってしまっていた。
その日は六人で集まり、ちょうど夕方の柔らかい光が部屋に差し込む頃だった。テーブルにはお菓子やペットボトルが散らばっていて、まるで学生時代に戻ったかのような雰囲気。誰かがカードを引き、「さぁ、説明します」と真剣な表情を見せたかと思えば、口から出てくる言葉がぎこちなくて、全員がふっと笑ってしまう。
カタカナ語を使えないというだけで、こんなにも会話がゆっくりになり、言葉選びが丁寧になるんだなと感心した。たとえば「サッカー」を説明する時に、「足で球を蹴って…戦う…集団の…あれです!」という具合に、みんなで首をかしげつつも笑ってしまう。その瞬間の一体感は、オンラインでは味わえない温度を持っている。
途中、飲み物を取りにキッチンへ立ったとき、外はすっかり暗くなり始めていて、窓ガラスには室内の灯りが映っていた。遠くで車が走る音がして、部屋の中には笑い声とカードをめくる音。そんな日常の風景が、なんだかやさしく胸に残る。
ゲームは回を重ねるほど盛り上がり、簡単なお題でも意外と言葉が出てこないし、逆に説明の妙で一瞬で伝わることもあった。“できそうでできない”その絶妙な難しさが、より貴重なコミュニケーションを作ってくれるのだと思う。
ひとりで遊ぶゲームも楽しいけれど、こうして六人で囲んで遊ぶと、楽しさはそれ以上になる。笑い合い、驚き合い、時には全員が沈黙して考え込む――そんな空気さえ愛おしい。「みんなで遊ぶって、こんなに楽しかったんだな」と改めて感じた夜だった。こういう時間がまたいつか訪れたら、ぜひまた同じメンバーで「カタカナーシ」を囲みたい。



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