子どものころ、夜になると家の近くの神社がざわざわとにぎわう日があった。提灯のあかりが風にゆらめいて、屋台の呼び声があちこちから聞こえてくる。私はそのお祭りが大好きだった。たしか「よみや」と呼んでいたけれど、あとで調べてみたら「宵宮(よいみや)」というものだったらしい。同じ意味で「宵祭り」とも言うそうだ。
まだ空が少し明るい夕方、浴衣を着た人たちがゆっくり集まってくる。境内の石畳を踏む足音、かすかに漂うお線香の香り、どこからか聞こえる太鼓の音。あの時間だけは、いつもの神社がまるで別の世界に変わっていた。金魚すくいの水面に映る光がゆらゆら揺れて、綿あめを手にした子どもたちの笑顔が、ほんのり赤い灯りに染まっていた。
私はお祭りの中でも、夜に行われる「よみや」が特に好きだった。昼のお祭りよりも少し静かで、でもどこか神聖で、時間がゆっくり流れている気がした。境内の奥で鈴を鳴らしてお参りをしている人の背中を見ながら、「この灯りがずっと消えなければいいのに」と、子ども心に思っていた。
今思えば、「宵宮」という言葉そのものに、どこかやさしさを感じる。“夜の始まり”を祝うような響きで、夏の夜のぬくもりと、どこか懐かしい郷愁をそのまま包みこんでいるようだ。
そしてうれしいことに、今もあの神社では変わらず宵宮が開かれている。提灯の灯りも、太鼓の音も、昔とほとんど変わらない。ただ、自分の背丈だけが少し高くなって、見える景色が少し違うだけ。子どものころは屋台に夢中だったけれど、今は人々の笑顔や、ゆっくりと揺れる灯りを眺めるのが好きになった。
あの夜の空気は、昔も今もやさしいままで、風が通り抜けるたびに、胸の奥でふわっと懐かしさが灯る。同じ場所で、同じお祭りを見られることが、なんだかとても幸せだと思う。きっとこれからも、この神社の宵宮は、夏の夜の小さな灯りとして、静かに続いていくのだろう。



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